多数決は破綻している その2
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参考文献
不可能性を回避する方法
前回述べたように、投票制度はコンドルセのパラドックスを回避しようとするとアローの不可能性定理に阻まれてしまいます。この状況を打破する方法はあるのでしょうか?
投票をゲームと考える
コンドルセのパラドックスにおける投票は、言うなれば「並び替え」です。
つまり、今まで「各人の順位をちょうどよく考慮して、全体の選考を決める」という操作の不可能性を議論していました。
ゲームの構造を変える
ここで、今まで議論していた「並べ替えゲーム」を違うゲームに置き換えます。
点数付けゲーム
ここでは、新たに「点数付けゲーム」を考えます。
ルールは簡単。選択肢に点数を割り振るだけです。
点数を付けさせて、集計すれば「堂々巡り」を回避できます。さらに、前の投票についての5つの条件も満たせそうです。
このような投票制度の例としては「ルイス・キャロルの投票制度」などがあります。
ギバード=サタースウェイトの不可能性定理
新たな問題
ここで「点数付けゲーム」の新たな問題が発生します。
それは「戦略的操作」です。
個人が投票をする利得とはなんでしょうか?
それは、自分の選考を反映させることです。
そして、自分の選考を反映させるために、選考とは違う点数をいれるケースが発生してしまいます。結果に繋がるのは選考ではなく点数だからです。
(例)
Aの選考:X→Y→Zであるのに対し、入れた点数は X>Z>Yだった。
結果Yが1番になることが阻止され、Xが1番になり当選した。
投票と戦略的操作に関しては、「ギバード=サタースウェイトの不可能性定理」が成り立ちます。
「戦略的操作をなくすことができるような投票制度は、独裁制しかない」
アローの不可能性定理のときと同様に、「フェアな投票を目指すと独裁制になる」という皮肉な結果が導かれます。
希望はないのか
ここまで不可能性に阻まれてしまうと、投票は無意味なのではないかと思ってしまいますが、希望はあります。
定理の仮定
以上の不可能性定理は本質的には
「個人の利得と皆の幸福の間には必ず不釣り合いが生じる」ということに等しいです。
(専門的には「ナッシュ均衡とパレート効率性の協調問題」と呼ばれます)
そしてここでの重要な仮定は
「個人は必ず自分の利得を最大化するように行動する」ということです。
この仮定がないとき、不可能性定理の壁にひびが入ります。
単峰的な選考
「単峰的な選考」とは、「一定以上の傾向がある選考」のことを指します。
コンドルセのパラドックスを回避できる程度のある傾向性があると、上手く不可能性を逃れることができます。
今までは投票される側は何もしないと仮定しましたが、実際には投票者に投票を促すことが普通です。この行動が単峰性を生みます。
したがって、選挙などは十分に不可能性を破っています。安心して選挙にいきましょう。
まとめ
今回は2回に分けて「多数決(投票)」について紹介しました。
理想的な状況では、多数決は破綻していることがわかりました。
ゲーム理論は、すでにゲームの枠を超えて様々な分野に適用されています。
特にゲームに量子の概念が取り入れられた「量子ゲーム」はとても興味深いです。
(勝ち続けられるギャンブルを考えたりすることができる)
ゲーム理論、勉強してみてはいかがでしょうか。